諦めという名の鎖を身をよじってほどいてゆく

自分のブログはたまに見返すのだけど、前回の更新からもう約4ヶ月も経つのかと思いふと、ブログを、近況を書いてみようという気持ちが湧いてきた。

まず、前回の更新から4ヶ月も経っているということに驚いてしまう。タスマニアにいた頃はそんなに前のことだったのかと感慨深く、改めて日々の速さに目を見張ってしまう。


タスマニアからの出来事を軽く書き出してみよう。

タスマニア→メルボルンはフェリーで。このときはタスマニアのブルーティアーでのトリップの強烈さから抜け切れておらず、メルボルンでの当ても定まらず、精神的にやや厳しい状況が続いていた。

オーストラリアに来たばかりのときにお世話になった友達の家にまたしてもお世話になっていた。

そこで、小学校からの友人、田中に再会することが出来てよかった。

メルボルンは一週間も滞在せず、シドニー付近を目指す。

約600キロの行程。初めての一人での長距離移動となった。

シドニー付近ではシティには行かず、近くの観光地、ブルーマウンテンでタスマニアでずっと一緒だったHと合流する。

そこからいよいよ、目的であったニンビンを目指すという段になりHと一緒にブルーマウンテンを離れて、北上する。が、ここでアクシデントが起こる。なんとハイウェイを走っているときに、エンジンから良からぬ音が、明らかに通常では聞こえないトラブルを孕んでいるような不吉な音が聞こえてくる。

一度脇に車を停めて確認する。そしてもう一度エンジンを動かそうとすると、なんと二度とエンジンが入らなくなってしまった。きっとエンジンオイルがリークしたか、無くなってしまいピストンリングがイカれてしまったのだろう。

この自体には、参ってしまった。まさか、車がここに来ておじゃんになるとは思ってもいないことだった。ハイウェイの脇で途方に暮れっぱなしになる訳にも行かないので、取り敢えず対策を取ることに。Hとミーティングの結果、シドニーには戻らず、この近くのゴスフォードという街に車をトローリーで運んでもらうことにした。

タスマニアでもお世話になった車の牽引。ここ、メインランドでもお世話になるとは思わなかった。

この出来事によって、これからのオーストラリア生活への様々な思いが交錯しない訳には行かなかった。これからの移動手段について。さらなる出費。新しい車を買うかどうするかなど。

落ち込まなかったか?と聞かれたら、確かに落ち込んだが、なんだかここまで来ると愉快な気分にもなりこの出来事に対し笑い飛ばしてしまうような態度で望んでいた。けれども、後日になって、日常生活が続く中、精神が澱の様に沈んでいった際などは、オーストラリアに来てから全体的な流れを思い出すとやりきれなくなりそうになったり、自らの事の運びを呪いたくなることもあった。

2014年、カメラをロンドンのトランスパーティーで盗まれたときも同じような気持ちになったものだ。起きてしまったことはしょうがないのだ。起こってしまったことはもうその前とは同じ状況になることは決してない。受け入れてないと始まらない。嘆かずにはいられないような気持ちにもなるが、先を見ないことには人生が生産的になることはない。

Hがカバーしていたボブ・ディランの「Don’t Think Twice」という歌詞に励まされた。

が、これが出来れば苦労はしないのだ、と過去の自分の経験から考えてしまう。人は思い出す必要のないことも、思い出したくないことも、思いたくもないことが頭に浮かんでしまう瞬間がある。が、可能な限り自分のマインドを制御する術を身につけていたいものだ。この訓練はずっとずっと続いていくだろう。
最近観た映画シンドラーのリストにも「自制心は力だ」という台詞が登場していた。 


ゴスフォードに着いて、車屋の前でブッシュキャンプをする。この街ではホームレス用のシェルターに行って食べ物をもらったり、シャワーを使わせてもらったりお世話になった。こういった施設があることを知るのは自分に取って新たなる発見で、オーストラリアは福祉がしっかりしているなと再認識したのだった。だからといって車が壊れてこの街に来れてよかったなどとは絶対に思わないが。

ここからは、公共の機関、バス、電車での移動となる。今回はバックパックではなく、スーツケースだったので、バックパッカーになりきれた訳でなく、スーツケーサーということになるのだろうか。

夜行列車で、ゴスフォード→カジノへ。バスでカジノ→バイロンベイ。更にバスで、バイロンベイ→ニンビンへと向かう。


ニンビンへはマルディグラス目的で向かったが、到着してから当のマルディグラスまでは二週間以上間が開いていた。着いた当日からその日暮らしのような、先のことも一向に決まる気配のない生活が始まったのだった。

しかし、周辺には働けるような場所はなく、お金はすり減っていく一方。宿泊先でフリーアコモデーションを始め、出費を抑える努力はしていたもののついにオーストラリアの口座は0$にまでなってしまった。

日々やることもとくにないまま、時が過ぎていくのを見過ごしていくような日々が続き、もどかしくさと焦りは募り精神はのめされがちであった。


このような暮らしが続く中、オーストラリアに来てから精神が一番厳しい状態に迄追い込まれたりもして、日本に帰ってしまいたいとの願望すら芽生えた瞬間すらあった。

ニンビンでの生活は平坦であったが、もちろん様々な出来事があり、徒然に書こうと思えば書きたいだけ書けそうだ。一つ特筆すべきことがあるとすれば、DMT体験だったであろうか。このことについて、まとめておきたいとは思うが、これはまたの機会に。


マルディグラスが終わったらどうするか、ここにいた間ずっとみんなと話あっていた。

宿泊先で出会った方(なんと自分と同じ名前の人)も自分と同じような状況でお金がなかったので、マルディグラス後、共同で車を買う運びになる。この車の購入資金のため、手を出さないと決めていた日本の口座についに手を出してしまった。このときの気持ちは今もよく覚えている。苦々しくて、たまらなかった。これからのことのために出費なのに、これからのよりも今まで起こってしまったことに目を向けてしまう、そんな後ろ向きな思いを抱きつつ…。


友人のつてで、スタンソープに車を売ってる人がいるというので紹介してもらい、ヒッチハイクでスタンソープへ。

1500$でトヨタのカマリーを買った。これでオーストラリアに来てから3代目の車になる。車のことは今まで車関係に支払った金額を思うと飛びたくなる。が、これが今の、まごうことなき自分の人生の経験と積み重ねが作った確かな結果なのだ。受け止めていくしかあるまい。


そして、その車で北上を開始する。仕事を探すための移動。ワンダバーグという場所に仕事のあてがあったので向かっている途中、サンシャインコーストで夜と明かそうとしていると、スタンソープのハーベストオフィスから仕事のオファーが入ったのだった。

こちらの方が条件がよかったので、車を買ったスタンソープへ戻ることに。Hとも合流し三人でスタンソープでの仕事の日々が始まった。こうしてついにオーストラリアに来て初めて仕事にありつくことが出来た。


そんな中、またも不運なことが起きる。なんと検問に捕まり唾液検査で大麻の陽性反応が出てしまい、裁判所へ行かなくてはならない事態になってしまったのだ。このときも車が壊れたときと同様、自分の置かれた一連の状況を思い返してみて何故、自分の人生はこういう感じになってしまうのだろうか…と思うに至った。

オーストラリアに来てからしっくりとくることがない。人生は嫌なことは沢山あるが、いいことはないななんて思うようにまでなってしまった。当然、この流れの中、例のやるせない気持ちも首をもたげてきて、オーストラリアに来る前にこの気持を決別出来るようにとブログに思いを込めて書き綴ったが達成出来そうにもない。


たったひとつ、よいなぁ~と思えることがあった。それは8月からの動きのことなのだが、思った以上にこの文章が長くなってしまったので、また落ち着いたらまとめたいと思う。


そんなこんなで9月までと思っていたオーストラリア生活もあっという間に半分折り返していた。あるときある方にセカンドビザについて「9月までしかいないならもう取れないんじゃない?」と指摘があり、改めて計算してみると確かにその通りで、いつの間にかどうにもならない状況に追い込まれていた。

ここで、カリフォルニアを諦めてセカンドビザを取るか、セカンドビザを諦めてカリフォルニアを取るかの二択からどちらか一つを選ばなければならないことになってしまった。自分にとってカリフォルニアへ行かないなんてことは考えられない選択肢であったが、セカンドビザのことを考えると切羽詰ってしまう。何日か考えた末、今年の渡米は諦めた。これは非常に大きな決断と判断であった。

しかし、来年は絶対に行きたいと早くも思い始めている。


8月にヘンプファームで働けるかもしれないとの大変ありがたいお話が入り(実際に希望通りにことが運ぶか見通しは立たないが)それまでに期間が空いたので、スタンソープからモリーという場所に移動した。モリーはメルボルンの友達がオレンジファームを紹介してくれたのだった。

セカンドの日数もまだ溜まっていないし、お金も充分あるとは言いがたい状況だったので、毎日懸命に働いている。

本日でモリーに移動して一週間目となる。精神的には車がおじゃんになったとき、警察にしょっぴかれたときと比べたら大分回復してきたが、どうにもこうにも自分のくさくさとしている感じからは、ぬけ出すことは出来ないのであった。


こうして文書に書き出してみると暗めだが、常日頃こんな精神状態で居るわけではない。

基本的にはきっと毎日幸せなのだろう。毎日楽しく過ごしているし、今までのことを思い返してみても、染み染みとなるようなほのぼのとした思い出がいくつも出来た。笑っている時間も少ない訳ではない。
疲れていると真顔率が高い。との指摘がバディからあったが。 


いつもこれ以上惨めにならないように、自分自身に負けないようにやっているつもりだけども、この文章全体から発散されるような暗さは常に纏わり付いている気がしてしまう。

いつの日か人生が絶好調に、今まで起きたことを全て引っ括めて肯定することが出来るきっかけが得られるように、そんな日が訪れることを願わないと日々をこなしていくことは出来ない。

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と、ここまで約一週間前の7月13日に書いた。そこから、状況が変わったことがある。
先に書いたヘンプファームのこと。これは先方の事情でスタートがかなり先になってしまった。
さらに裁判の結果、有罪をもらってしまったら働くことが出来ないという。折角、オーストラリアを優先して、カリフォルニア行きを諦めたのに、こちらもおじゃんになってしまいそうでだ。
裁判にて、弁護士を付けて無罪を勝ち取る。という道もないわけではないが、正直そこまでのモチベーションは沸かないのであった。

今年はワーホリで海外に来ているので、例年の旅とは違い、現地でお金を稼ぐことが出来る。
今年いっぱいはオーストラリアで踏ん張っていくしかなさそうだ。
お金もそんなにあるわけではないので、日々の生活が働くだけに留まってしまっている。

正直、オーストラリアに来た意味はあるのだろうか。と思ってしまう瞬間もある。
そんな中、中島みゆきの『ファイト!』が心に染みて最近のテーマ曲にまでなった。一日一度は聴いている。今回のブログタイトルはその曲の歌詞の一節から。オーストラリアで身を捩り続けて行きたい。

2016年7月21日 NSW Moreeのマクドナルドにて。


dare to be different

日本を離れて、半年ほど。改めて思ってみるととても半年しか経っていないとは思えない。
ブログの更新はメルボルン以来。
2月の後半にこちらへ渡って、色々あったと言えばあったし、なかったと言えばなかったような日々を過ごしている。
前回のブログにこちらでの目標、お金を減らさないという項目があったが、無念にも現段階で全く達成できていない。
というのも車の事故を二回も起こしてしまい、車関係で大分お金を使ってしまったからだ。
タスマニアへ来た目的のひとつにファーミングにトライするということがあったが、それも達成できない雰囲気が濃厚に漂っているし、また自分としてもタスマニアでは働かなくていいやという心境になっている。
また、バッテリーチャージャーをメルボルンに忘れてしまったことがとてもイタくそのことを思うと心が萎えてしまうのも精神を弱気にさせている一つの原因になっている。写真を自由に撮れないことがここまでストレスになるとは。

こちらへ来てから、親友のHと合流して、ひたすらキャンプ三昧の流動的な日々を送っている。
その中でもナショナルパークへ行ったりと能動的な動きも多少はあるのだけど、ここのところは 流れに身を任せるような日々が続いている。
キャンプ生活は、やはり楽しくて学ぶことが沢山ある。タスマニアの自然の中で仲間とのキャンピングは何事にも代えがたい良い一時をなっている。
キャンプ中はやることがそんなにないだけに、考え事が中々捗り、その中で将来の動きを見据えることが出来てきた。
今回そんなことを思ってブログを更新してみようという気になった。
自分の中で将来に向けて、考え方が変化してきた。今までは海外への永住のこだわりが強かったがその気持が薄れてきたことだ。
今では、日本の田舎生活に強い憧れを抱くくらいになってきた。
海外で生活する中で、永住ビザの取得の難しさや、育ってきた環境以外で一生を終えることを考えるとハードルが高いように感じてしまう。
なにより自分は日本語、日本の文化が好きなのだなと認識を改めている。
が、しかし折角ある程度英語を覚えてきたので、日本にだけに留まりたくない気持ちは大いにある。
いつ日本へ着地するかはわからないけど、着地した際の具体的なプランが固まってきた。
田舎暮らしでの生活が定まるまで、3つのことをしていこうかと考えている。
①職業訓練校に通う。
自分の資質にそって考えると、ものづくりをすることに喜びを感じるので
木工や建築などの職業訓練校に行くのはどうだろうかと考えている。
まだ詳しく調べてないので何とも言えないが、きっとそのようなコースがあるだろう。
高校生時、工業高校の機械科に通っていたが、今思うと建築科に行っていればという思いがないでもない。木工と思ったのは直感的で、鉄などの無機物なものより有機物に惹かれる節があるからだ。
②家の解体や廃材回収の仕事をする。
友人で解体や廃材回収の仕事をしている人がいるが、様子を見ていると色々な物が手に入りそうなのである。将来、自分の住処を自分たちで作って行きたいとの思いがあるため、これが出来たら物事がより良い方へ向かっていくのではないだろうか。①のことと合わせて、使えそうなものを直したり、組み合わせたりして新しいものを作っていけたらと思う。
③古物商の資格を取る。
これもまだこの世界のことを深く知らないので浅はかな視点でしか予想することが出来ないが、田舎の方にはまだまだ、一昔前に日常的に使われていた古き好き道具が残されているのではないだろうか。
日本の一昔前の道具に興味がある。戦後、現代社会が築かれていくうちに使い道が失われつつある道具が多くあると思うが、それらはきっと戦前までの長い日本の生活の中で洗礼され実用的かつ美しいものが数多くあるのだろうなと想像する。

キャンプ生活を重ねて、自分の資質と今後の生活を重ねてゆくと、自分は現代社会では豊かに暮らすことが出来ないだろうなと予想が出来る。便利さは豊かさをもたらすかと考えると必ずしもそうではないなと強く思わされる。周りに自然があり、水と火が日常にあること。自分のペースで自分の時間を作っていくことが自分の思う豊かさに繋がっていると思う。
そう思うと、参考にすべきはやはりこれからのテクノロジーではなく、長い歴史を掛けて形成されてきた戦前の暮らしが参考になるのではないか。もちろん、今の社会の技術も大いに取り入れていきたいとは思うが。

その他にも、文章を書く。畑を持つ。店をかまえる(本、雑貨など)。キャンプ場を作る。アコモデーションを用意して興味のある人のこちらでの生活に触れてもらうなどのことも頭の中にある。

今の宙ぶらりんの生活に焦燥感や物足りなさを感じる瞬間もないわけではないが、これらの事柄が頭の中で混じり合い将来へ向けて理想的な生活を叶えるべく計画が醸成されつつある。

オーストラリアのこれからの動きは4月5日にメインランドへ戻ることになっている。
4月の終わり、5月の始め辺りにはバイロンベイエリアに行きたいと思っている。
タスマニアも自分に合うとこだとは思うが、バイロンベイ、オーストラリアのヒッピーの本拠地にも強く引かれている。
9月、カリフォルニアへ行く前には必ずセカンドヴィザを取得しておかなければ。

また、少々ながいスパンでの動きとして、この頃再びインドへ赴きたいとの気持ちも萌芽しつつあり、長期でアシュラムに滞在することに心が傾いている。

上に書いたことの他にも、やはり写真、音楽、意識を変性させる薬物については追いかけて行きたい。


タイトルは知り合ったドイツ人の女の子のタトゥーから。
この人のことはギリギリブログに 書くような内容の範疇ではないため、タイトルにこうして使わせてもらうことにした。この言葉が心に響いたときもあったのだよ。

2016年3月23日 タスマニア デロレーン セルキーの家にて。
  

スペンサーストリート

気持ちを整理するのに、このブログの存在は調子が宜しい。
と、いう訳でオーストラリアの感触を書き残しておこう。
1月1日にメルボルン着。キリの良い2016年のスタートとなる。
けども、年末年始の、日本人だからこそ知る独特の雰囲気とは無縁だった。
多くの人は、あのなんとも言えない、期待と焦燥、不安と希望が入り混じったような、それでいて、数日もすれば無くなってなってしまう儚い雰囲気が好きなのではないか。それを恋しく思い、日本人なんだなぁと改めて思った。

メルボルンの拠点はスペンサーストリート。この道に沿ったとこにあるマンションへ一時滞在する。
幼馴染が紹介してくれた場所だ。こういった繋がりは本当に助かる。
その地に赴いて、色々とガイダンスしてくれる人がいるのといないのでは大違いだ。
思った以上に多くの人がそこに住んでおり─自分を入れて7人かな─カリフォルニアから始まり、ずっと一人っきりだった環境から大きく変わり、慣れが必要なこともあったが、皆いい人ばかりで楽しく過ごすことが出来てる。
仲間たちはオープンマインドで外に開いているように感じた。自分がどれだけ内に籠っているのかと思わざるを得ない。こういった環境にいて、周りの影響を受け、自分も外に向かって行けそうだ!とポジティブな感触を得たりもした。

今は生活基盤を整えてる段階である。TFNを申し込み、銀行口座を開き、あとは携帯をゲットする。
それまでわりかし時間があるので、ゆっくりを暮らしている。金銭的に余裕がないわけではないので、それが精神的な余裕を生み出している。ありがたいことだ。
暇な時間は映画を観に行ったり、ビーチに行ったり、サウナ行ったりバスケしたりと。
こうやって日常生活をして、改めて思ったのだが、自分の英語のなんと情けないことか。
今まで勉強を無縁で行動力を頼りになんとかやってきたが、こうやって改めてこの問題が浮き彫りになるとそこに焦りが生じない訳にはいかない。もっとスムースに話せるようになりたいと強く思う。大事なのは自らの勉強とこれからの環境作り次第だ。

メルボルンはオーストラリアの中でもシドニーに次ぐ大都市なのだが、それにしては小さな街だなと感じた。アメリカと同じように歴史が浅く、計画して作られた地域なのだろう。
フリートラムの存在や公共施設の充実は抜群にいい。町並みも綺麗でたまに裸足で歩いている人もいる。拠点先のマンションにもプール、トレーニングルーム、サウナがついており、日本ではこんな暮らしは考えられない。
これから夏になるようで、日差しはカリフォルニアに負けず劣らずに強い。短パン半袖、楽な格好をして歩いてる人が多い。しかし風が結構強く、曇の日には半袖では寒いくらいだ。

こちらに来てから一週間が経った。今年の目標、オーストラリアでやりたいことをここに書きとどめておく。

車の運転、扱いに慣れる。
セカンドビザを取る。
英語の上達。(日本人と行動を共にしない)
貯金を増やす。

などだろうか。
二年目?やや先の目標として理想の暮らしへ向けて着想を得るため。
コミューンに住む。ウーフを体験する。などしていきたい。

あとはやっぱり全体的にパーティに行きたいと思っている。そこで出会う人達が一番気が合うのだろうから。

これからの動きは今月の終わりに、レインボーサーペントで一発かましてから、29日にタスマニアへ。
親友と合流し、アップルのファーミング?また、車を買うつもりだ。
2,3ヶ月はそこで暮らし、5月の始めを目指してバイロンベイエリアに向かおうと思っている。
まだまだ、先の動きが確定していないが、臨機応変に流動的によりエキサイティングな方に向かって動いていきたいものだ。

これまでずっと移動を繰り返して来たので、どこかに根を張って落ち着いた暮らしをしたいとの欲求も生じ始めている。

これからの生活で自分が自分の人生に調和していると完璧に思えるような、期間を作っていけたら理想的だ。


 
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