2018年06月

好きなことをやる


よく笑い
常に愛を
前向きに
心配せず

水分補給し
よく働く

心穏やかに
毎日運動し
時間を作って
限界を広げる


今回の旅に出る前に買った水筒に書いてあった言葉を和訳したのも。
安い水筒になんとなく書いてあったことなので、最初はケッっと馬鹿にしていたけど
水筒に愛着が湧いてくるとともに、侮れない言葉だなぁと思うようになり
いつの日か、ブログにでもこのこと書くかぁと思うようになっていた。
そしてそれを只今実行中。
この言葉通りに生きることが出来れば、そりゃあいいだろうね。



 

響く 心の半径 絆ぐ 広大無辺へ


アシュラムに滞在して二週間となる。
今回の旅、アシュラム滞在中に思うことあり
改めて、これからのことについて書き残しておきたいと思う。
特にスピリチュアル、スピリチュアリティについて。
スリランカの瞑想リトリートに参加してから、この言葉が以前より裡に響くようになっていた。

スピリチュアルと言っても非科学的なことでなく、現代科学では解明することの出来ない心についてのこと。(観測によって想念を客観的に捉えることは出来ない)
けれど、一つ一つ段階を踏んで物事を見ていけば誰にでも理解できる普遍的なこと。

未読なのだが、ケン・ウィルバー著、吉田豊訳『科学と宗教の統合』でこのことについて論じているよう。
以下(http://auwa.sakura.ne.jp/salamnidam/9resembletheory/resemble5.html)
より転載。

もう一つ、人類が忘れ去り、宗教の根幹の部分に保持されている認識装置がある。
それは心自体だ。
目を閉じて黙想して、内面的な探求の中で客観的な真実をつかんでゆくことができるのだといいます。
それを「スピリチュアリティ科学」と呼びます。
なぜ、科学なのかというと、こうすればどうなるという最初に指示があります。
その指示にしたがって実行します。
そうして最初の指示どおりの事実を体験できたかどうか検証できます。
それを実行者が互いに共有することによって、その宗教教義を信じ込むという非科学的な信仰ではなく、黙想による内面的な体験という事実で検証した科学的確信になるというのです。



黙想による「直観科学」もふくめて、ケン・ウィルバーは、科学的であるために次の三つが必須だとしています。
「1、介助的指示、もし、これを知りたければ、これをせよ。
手本、パラダイム、実験、手順である。
2、直接的体験、ないしデータの感受、
3、共同体的確認、これは指示と感受の要求をみたした他の人々とデータ、証拠を照合することである」同書、202ページ

 ケン・ウィルバーのこの提起は、黙想という認識方法による探求を真に科学的プロセスに高めてゆく探求の必要を私たちに提起しています。

〜転載了〜


当時は自覚することすらなかったが
最初のスピリチュアルな経験は10代後半に体験した精神的な危機だったと今なら思う。
それまで作り上げてきた価値観と、現実に起こった出来事のギャップに対応出来なくなってしまった。
つまりは、自己中心な価値観に執着し抜け出せなくなってしまっていたのだ。
自分では制御することの出来ない情動に飲まれ、うつ病のような態であったが、それは気づきをもたらすきっかけでもあった。

人が感官の対象を思う時、それらに対する執着が彼に生ずる。執着から欲望が生じ、欲望から怒りが生ずる。
怒りから迷妄が生じ、迷妄から記憶の混乱が生ずる。記憶の混乱から知性の喪失が生じ、知性の喪失から人は破滅する。

バガヴァッド・ギーター 上村勝彦訳、(第262節、63節)


自我意識、エゴを知ること。

自分さえ良ければいい。
スピリチュアリティの前進とは、心の半径を無限に広げていくこと。
この考え方は、心の半径に制限を設置することになる。



次に訪れたスピリチュアルな経験は大麻を始めとするサイコアクティヴ物質を摂取したこと。
そのとき20代の前半で、ロンドンに住んでいた。
それは言葉によって説明することの出来ない直接体験、神秘体験をすること。
これによって心が無限に広がるような経験をし、ワンネスという意味も実感できた。
そのときに思ったことを書いた当時のブログ記事。
http://approach.doorblog.jp/archives/6346506.html


これらのことを通して、自分がこの先の人生どう歩んで行くべきか形作られていったように思う。

アンドルー・ワイル『ナチュラルマインド』という人生で一番影響を受けた本があるのだが、解説にて片岡義男さんが次のようなことを書いていた。(本が手元にないので思い出しつつ書いてみます)

優れた人間とは、周りにいる人の潜在能力、可能性をフルに引き出すことの出来る人である。と。

確かにその通りである。人は潜在能力、可能性をフルに発揮して生きていくことが出来たら心身ともに健康で健全に幸せに生きていけるだろう。

しかし、残念ながら今の社会システム、資本主義では金銭、物質的豊かさが経済的成長という名の元に最優先され、先に述べたことは蔑ろになってしまっている。

それを解決する社会システムが『拡張プラウト主義』である。
この考え方に出会ったのもロンドンにいるときであった。

今の社会状況からしたら、ユートピア思想に移りかねるかもしれないが、反作用のない真の発展という観点からはこれ以上に優れたシステムがあるだろうか。

以下、かなり長くなるが拡張プラウト主義について解説した文章を引用する。

序言   進歩的活用理論(プラウト)の特質 マルコス・アルーダ

プラウトのビジョンの特徴は、その完全さにあり、この本を書いたダダ・マヘシュヴァラナンダによって非常に美しく説明されている。それは、人間の現存在の生産と再生産を個人的、集合的に組織していくホリスティック(全体論的)なアプローチである。
プラウトのホリスティックで系統的なアプローチは、人間存在の全側面を包含しており、私は称賛を禁じえない。世界の現実についての批判的考察があるとともに、それを建設していくもうひとつの道の探究がある。
個人としても集合体としても、人間を生産の社会諸関係の中心におくという提案は、経済が重要なものとして扱われることを必要とする。しかし、人間存在は多次元的であり、経済領域は、政治、文化、環境、スピリチュアリティの領域とともに存在している。
これは、私たちが「連帯の社会経済」と呼んでいるものに相当するするプラウトの一側面である。プラウトは、資本主義の根本的批判と利他主義、協同の精神、連帯、他の民族と文化に対する尊敬を含んでいる。種としての私たちの存続は、これらの資質を、人類に対してだけではなく、「大地」と「コスモス」に対しても発達させることにかかっている。 プラウトは、私たち人間が矛盾した性質をもっていることを軽視しない。それは、私たちが前進していくダイナミックな性質を刺激するものだからである。それは、私たちに「創造」への積極的な態度をとらせ、意識を高める。それは次のようにしてなされる。・人々を利己的、競争的、攻撃的に誘導し、人類のもつスピリットと意志を破壊しているエセ文化を克服するために働くこと。さらに、個人主義が最高の価値であるという幻想を解体し、個人の利益を最大限にすることがすべての人に恵みをもたらすという資本主義の神話を打ち破ること・思いやりの文化を助長すること。すなわち他者とともに感じ、他者とともに苦しみ、他者とともに同じゴールを目指すこと。それは、また人間の多様な補完的な領域、すなわち個人と集団、女性性と男性性、現在と歴史、活動と黙想、理性と感情、本能的と意志的、物質性と精神性、動物、人間と超人間、の実現に努力する。サーカーの資本主義批判は根本的なものである。著者はそれを今日の世界の現実に適用している。それは革命的である。なぜならば、資本主義を、支配的な生産を組織する社会システムとしてだけではなく、その存在論的、倫理的、認識論的な前提に対しても検証しているからである。著者は資本主義という木から生まれた果実を抽象的にではなく、歴史的社会的な位置のなかで検証する。
プラウトは、個人の発達が世界を変えていくのだということを提起している。偉大な歴史的転換は個人の選択とともに始まった。私たちは日々の活動を通して重要な社会的変革に貢献できる。小さな光が合流して大きな輝きとなり闇を照らしていくように、人々の活動はお互いに結び合っていく。この本は、いくつかの概念を完全に再定義している。たとえば、富の概念は、今日、完全に物質的で資本、貨幣、財に収斂している。しかし、プラウトは、この富の概念を大きく広げ、人々の心理的であるピリチュアルな発達をサポートするものとして、すべての人々の物的必要を満たす社会を構想する。技術的進歩も、単なる生存のための労働時間を減らし、労働者がより高度な能力を磨くために時間を取れるようにすること、と再解釈されている。著者は、グローバル資本主義を深く批判的に分析している。このシステムは、技術面、物質面で前進し、生産物の豊かな産出を増加させ続けながら、人類の苦悩を増大させている。資本家たちは、富の蓄積衝動に強く迫られて、貨幣と資源の健全な分配と循環を混乱に陥れている。かれらは人類と自然のあらゆるものを商品化し、その尊厳を奪う。この本は、多様な文化と知識に依拠しながら、社会経済と人間の変革についてのプラウティストのビジョンを構築している。著者は、カール・マルクスはスピリチュアリティすなわちより高い人間的価値に反対しなかった、というサーカーの意見に賛同している。(2)あらゆる人間の問題は主観的な領域から生じている、と考える無数のスピリチュアルな運動がある。しかし、プラウトは、そうした立場をとらない。プラウトは、深くインドの文化とスピリチュアリティに根ざしているけれども、この運動は活動を熟考・黙想と結びつけ、物質的な人間の発達をスピリチュアリティと結びつける。それは、正真正銘のユニヴァーサリズムに貢献する。著者は、この運動のリーダーの一人であり、自分の体験とスピリチュアルな理解のなかから考察を行なっている。それは、この本のもうひとつの価値となっている。この本に「ユートピア」を感じる読者があるかもしれない。どのような社会組織のシステムも卓越した思想家の抽象的なビジョンに基づいている、ということを思いおこしてほしい。プラウトの提起は、今も世界の数百万の人々とコミュニティで、多様な名称、多様な形で現実化されていっている。すべての国、すべての人類にむけての提案であるというところに、「ユートピア」的な色彩が生じる。しかし、それは、「現実的ユートピア」をめざすことであり、実際的である。このビジョンは、人類の一体性に根を下ろしており、現代人類の直面する諸問題と具体的に格闘している活動家たちのライフスタイルを通して実現されていっている。グローバル資本主義は、消費という一つだけの願望をもっており、個人としても全体としても人間のもっとも深い願望を実現できない。プラウトの提起は、人間の存在価値と社会の人間的組織化という二つの課題を合わせ持つ、脱資本主義のプロジェクトを実現していくパワーをもっている。このプラウトの提起は、なお現実世界のきびしい試練のなかにある。プラウトは、原理、価値観、ビジョンを共有できる他のグループと合流し、ネットワークを発展させていくであろう。たとえば、多くの草の根のグループがあり、連帯社会経済、民衆経済、農業革命を発展させている。最終的には、これは、国のレベルでの具体的経験として明確になっていき、さらに連帯にもとづく協同的なグローバリゼーションに向かって発展していくであろう。この運動の将来ありうる可能性は、人類が超人類へと変容していくことである。

2002年9月12日、リオデジャネイロ
マルコス・アルーダは、1970年にブラジルの軍事独裁政権によって投獄され、拷問された。アムネスティ・インターナショナルが、ブラジル政府に圧力をかけて、彼を解放させたが、11年間の国外追放を強いられた。その間、マルコス・アルーダは、ワシントンD.C.のアメリカン大学で経済学の修士の学位を得る。その後、ジュネーブの「文化活動機関」で有名な教育者パウロ・フレールと共に働いた。そして、ギニア・ビサウ、ケープ・ヴェルデ、ニカラグアの教育省のコンサルタントとして尽力する。ブラジルのフルミナンス・フェデラル大学で教育学の博士号を受ける。そして一ダース以上の本と百を超える論文を書いた。彼は、「南アメリカの南部コーンのためのオールターナティブ政策機関 (PACS)」の指導者である。現在、リオデジャネイロで企業を自主経営する労働者グループの訓練・教育を手伝っている。

(http://www.universalspiritjp.com/marcos.html
)より

拡張プラウト主義は全てを包括していると感じる。
自分はちっぽけで無力な存在であるが、プラウトを知ってから
手探り状態の世界から目指すべき方向が定まった。

また、サイコアクティヴについての経験から
トランスパーソナル心理学、インテグラル理論やスパイラルダイナミクスなどの考えに方にも興味はつきない。これらの考えも拡張プラウト主義をリンクする部分は多い。

プラウトの世界ではスピリチュアリティが根底にある。
今はまだ、スピリチュアリティという言葉でしか言い表すことが出来ないが、いつの日か定義することの出来るようにしたいと思う。


プラウトの提唱者、
Prabhat Ranjan Sarkarはヨガ、瞑想を行うことを奨励している。
バガヴァッド・ギーターに出てくるヨーガという言葉は

Robert Charles Zaehnerによると、ヨーガの根本的な意味は「くびきをかける」、あるいは「準備をする」だと記している。彼は「ヨーガ」という語を「スピリチュアル・エクササイズ」という意味で捉えることが様々なニュアンスを伝える上でもっとも適切なのではないかと提案している。

プラウトがまず第一にあり、トランスパーソナル、インテグラル、スパイラルダイナミクスなどで補強しつつ、個人的なアプローチはヨガを続けることになろうか。

それとは別に興味を持ちつつ、現実的なアプローチでこれから何が出来るだろうか。

目下、興味のあることは

軽トラキャンパー(ノマディック・流動性)
Bライフ(DIY・自給自足)
しょぼい企業(小商い・資本家からの独立)

この3つのことは、プラウトの世界観をつながっているように思う。
さらに個人的なアプローチは(http://approach.doorblog.jp/archives/9652614.html)にまとめている。

最近、ヨガの練習に励みつつこのようことを考えていた。うまくまとめられた自身はないが、こうして書くことが出来てよかった。
まとめてみると自分の人生の流れが見えてこないでもない。
願わくば、よきアナンダ・マルギーになれますように。

プラウトの世界観が達成された暁には人類史は新たなる次元へ突入すると思われる。

インド、マイソール、Samyak Yoga Ashram にて、雨の降りしきる中。






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