やってきました。このブログの出番が。
ふと、書いてみるか。
とどこからかやってくる気持ち。
そのタイミングは自分で自ら起こせるわけではなく、ふとした瞬間に訪れるのでそれが起こったときにすっと自然に行えるようにしたい。

これはこの文章を書くことに限ったことではない。自ら起こす全ての行動においていえることかもしれない。
とにかく、常日頃それに対して心の備えを保っておくようにしたい。そうすることによってきっと向こうの方からやってくるのだろうから。

イエローナイフに来て8ヶ月、季節を3つまたいだことになる。
やはりここの夏は、自分が今まで経験してきた夏に比べると夏と呼ぶのも頼りなくくらいの気温で
曇ってたり、日陰や家の中にいると寒さを感じることもあるくらい。8月にも関わらず一度ヒーターを使ったこともあった。
夏が季節の中で一番好きなので、こんな感じの夏に物足りなさを感じる。夏はたまらなくなる暑さを感じたいと思うと蝉の鳴き声が恋しくなってくるくらいだ。
常にパーカーを持っていないと対応できないような夏に、頼んますよ〜、とでも言いたくなってくる。

去年の夏はインド、京都にいた。どちらもとても暑く季節を感じさせ、四季の一つに心を躍らされた。
京都ではヴィパッサナー瞑想を初めて受けてそれから一年経ったことになる。
ヴィパッサナー瞑想に参加したことはとても実りが多く、それをきっかけに人生や日々の生活についての気づきが増えていったように感じるし、その感じ方の質も変わってきいるかもしれない。
なので、これからもダンマの道と言ったら大げさなのかもしれないけど(いや、そんなことはないか)自分の中でそちらへの方向は示されてるように感じるので、一歩一歩着実に歩んでいきたい。

瞑想は、即効性のようなものはないかもしれないが、やっていると確実にゆっくりと長期に効いてくるように思う。
今になってみても、ヴィパッサナー瞑想に参加してみてつくづくよかった。
日記を書くように毎日ピシッと瞑想しているわけでもないが、一週間も瞑想をしていないなと気づいたときには瞑想をしたくなって実際にやっているくらいのペースになった。
最低20分、長くて40分が自分の中でお馴染みの感覚になってきている。たまに瞑想をしないとマインドや思考が浮き立つ感じがあって、瞑想してみるとやってよかった〜と必ず心が落ち着く。
こうやって自分に向き合うことをしないと、本当に自分が望んでいることやそれが自我からくるものなのか見極めづらくなってくる。
それを正しく選別できたとき、必ず人生は豊かに幸せに満足度の高いものになっていくのだろう。

イエローナイフ生活はいかに自分を律することができるかに尽きたな。と、ここから去る一ヶ月前になって思ってみる。
それは2019年の目標に掲げていた『丁寧に生きる』に重なっていた。自分を律することになしに丁寧に生きることはできない。
もしそれを実践すれば日々気持ちよく行きていくことができるだろう。自分の気分を自分でよくし、自分の機嫌は自分で取る。

前回の記事にも上にも書いたように、ここの暮らしは一人の時間が長かったので、それを実践する時間は沢山あった。そして、今思い返してみると、そんなに成績は悪くなかったのではないかと、ポジティブに解釈できている。
この期間があったからこそ、瞑想やヨガへの取り組みに自分一人でじっくり向き合うことができたのかもしれない。
環境によってできること、できないことはあるので――自分で選んだ道とはいえ――与えらた中でできることを精一杯、誠意を込めてやっていくしかあるまい。

12月日本に帰って、年が開けたらいよいよ30代へと突入する。20代は存分に生きさせてもらった。自分がどんなに恵まれた星の下に生まれたかよくわかった。本当にありがたいことである。
もう本当に今まで色々な体験ができたなぁと思うのだけど、それがこれからこの先の自分にとって全部準備のようなもので、これからいよいよ本番が始まるのだ。というような気持ちが強く、未来にこんなにも可能性を持って目を向けられるというのは、この生き方をさらに磨いていけばきっと大丈夫、うまくいくのだろうと思いが湧いてくる。
果たして10年後の自分が一体全体どんなことになっているのか楽しみだ。
どこまで突き抜けられるのだろうか。
きっと制限はないのだから、心の精妙さを無限の方角へ向かって広げて生きたい。

ここ、イエローナイフにて募りに募った気持ちに任せて次の場所へと行こう。
ジブコの家、自分の部屋より。