気持ちっていうのは、本当に自分ではコントロール出来ないなと思う。
そんなにやっきになって制御しようと思ってる訳ではないけど。
なんだか、自然に自分が導かれる様を不思議に思う。
暇な時間があれば、文章書いたり音楽作ったり、読書をしようと思ってるのだけど、今の生活はそれらに向いていかない。
そう、あんなに好きだったトランスも能動的に聴くことはとても少なくなったし、パルヴァティからの新譜も全然心に響かなくなってしまった。
では、何をしてるのかというと、時間があるときは英語の勉強をしていることが多い。
仕事先が完全に英語環境なのだけど、自分の英語の拙さにずっと情けなさを感じている。
死活問題までとはいかないけど、もうちょっと出来るようにならないとしっかり働くことは難しいんじゃないかと常々感じている。
こういった要因が大きく、自然と英語の勉強をするようになった。

話は変わりまして、昨日やっと12連勤が終わった。
一昨日、仕事に行く前にKをピックアップしようと思い、彼の駐車場でトラックをバックさせていたとき、隣の車に車体をぶつけてしまい、運転席側のサイドミラーを壊してしまった。
もう起こった瞬間が「げぇ!」って感じだったけど、そんなに気持ちは焦らない。もちろん、悔やむ気持ちは、事故を起こす前に戻りたい!と思わずにはいられなかったけど、ロンドンでカメラを盗まれたときのように、起こった出来事に対しては了承する気分になってた。
まぁ、流石にその日の午前中は気分が塞ぎ込みがちだったけど、Vに励ましてもらったり、Kも優しくてずいぶん助かった。

んで、次の日、ボスのDがトラックの見積もりの修理代を徐に渡してきたのであった。
それに目を通すと1134ドルとのこと。まぁ、これを支払わなくてはならない流れになりまして、先週、土日を返上して働いたのに、それが全くのパーになってしまって、気分は落ち込むよね。
自分は昔からポカなミスをやらかすことがとても多い。それを実感したのは中学の部活動でゴールキーパーをやっていたときに嫌というほど味わった。さらにオーストラリアでも車で二度事故を起こし結構なお金を無駄にしてしまった。そういった過去の思いも思い出して、結構辛い感じになって、早く部屋になってベットの上で身体を丸めて涙を流したいくらいに思ってしまった。
つまり、落ちたいなぁって自分から思った。でも、結局落ちることはなかった。やっぱり自己憐憫って気持ちがよかったのかな… でもその気持いい方に行かなかったのは何故なのだろう。気持ちがいいならそっちに行ってもいいじゃないかと思う。
この辺りが自分としても不思議に感じる。でも、もしかしたらこれが成長なのかなとも思う。
心がしなやかになったのかもしれない。


12連勤が終わって、上記のこともあり、身も心も疲労困憊状態になり、能動的なことは何も出来ないくらいに疲れ果てた。こんな状態は久々である。
なんで、今回の休みはひたすらにダラダラしようと決めた。ひたすらにダラダラしないと回復しないパラメータゲージってあるものよね。

まぁ、そんな状況でも何かしたいと思うわけでこのブログにやってきました。
日々は止め処無く、容赦しないで流れていく、淡々としたものです。こんな感じで9月まで暮らしていくのだろうか。

あ、でも日常生活は充実しているなぁと思う。旅をしてたときよりも充実感を感じている。きっとこの生活もこの先の人生の土台になっていくのだろう。

そんな感じで、カナダ、イエローナイフにて生きていく。

自分の部屋より。